巻1-3番歌|やすみししわご大君の朝にはとり撫でたまひ(間人連老、あるいは中皇命)

『万葉集』第1巻 3番歌(間人連老、あるいは中皇命)

やすみししわご大君の朝にはとり撫でたまひ夕にはい縁せ立たしし御執らしの梓の弓の中弭の音すなり朝猟に今立たすらし夕に今立たすらし御執らしの梓の弓の中弭の音すなり

漢文・読み下し文・現代語訳

標目

漢文

高市岡本宮御宇天皇代〔息長足日広額天皇〕

読み下し文

高市岡本宮たけちのをかもとのみやあめのしたをさめたまひし天皇すめらみことみよ息長おきなが足日広たらしひひろぬかの天皇すめらみこと

語釈
  • 高市岡本宮たけちのをかもとのみや:現在の奈良県高市郡明日香村大字岡にあったと伝わる舒明天皇の皇居。
  • 息長おきなが足日広たらしひひろぬかの天皇すめらみこと:舒明天皇。第34代天皇(在位:629~641年)。

現代語訳

高市の岡本に宮を定めて天下を治められた天皇の御代〔息長足日広額天皇〕

題詞

漢文

天皇遊獦内野之時、中皇命使間人連老獻歌

読み下し文

天皇てんわう宇智うちの野に遊猟みかりしたまひし時に、中皇命なかつすめらみこと間人連老はしひとのむらじおゆをしてたてまつらしめたまへる歌

語釈
  • うち【宇智】:現在の奈良県五條市一帯の地。
  • 中皇命なかつすめらみこと:古代の皇后、あるいは女帝を指す語。舒明天皇の娘であり孝徳天皇の皇后であった間人皇女はしひとのひめみこ、またはその母の舒明天皇皇后、後の皇極(斉明)天皇とする説がある。
  • 間人連老はしひとのむらじおゆ:飛鳥時代の豪族、中臣間人連老
    なかとみのはしひとのむらじおゆ
    か。白雉5(654)年2月に第三次遣唐使の判官として入唐した人物。

現代語訳

天皇が宇智の野で遊猟をされた時に、中皇命が間人連老に命じて献上させなさった歌

本文

漢文

八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝獦尒 今立須良思 暮獦尒 今他田渚良之 御執 梓能弓之 奈加弭乃 音為奈里

読み下し文

やすみしし わご大君の あしたには とり撫でたまひ ゆふへには いせ立たしし 御執みとらしの あづさの弓の 中弭なかはずの 音すなり 朝猟あさかりに 今立たすらし 暮猟ゆふかりに 今立たすらし 御執みとらしの あづさの弓の 中弭なかはずの 音すなり

語釈
  • やすみしし【安見知し・八隅知し】:[枕詞]「わご大君」にかかる。安らかに統治する。八方を隈なく治める。
  • とりなづ【取り撫づ】:手に取って撫でる。大切にする。
  • みとらし【御執らし】:手にお取りになる物。貴人の弓をさす。
  • あづさ【梓】:木の名。古くは呪力のある木とされた。
  • なかはず【中弭】:弓の末端を弭といい、その内の下部、弦の内側が中弭。弦鳴は除魔の呪法。

現代語訳

国土の隅々まで安らかに統治される我が大君が、朝には大事に手入れなさり、夕には側に寄せて立たせておられる、御愛用の梓の弓の中弭の音が鳴ります。朝の猟に今お立ちになるらしい、夕の猟に今お立ちになるらしい、御愛用の梓の弓の中弭の音が鳴ります。

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作者

間人連老はしひとのむらじおゆ、あるいは中皇命なかつすめらみこと

分類

部立

雑歌

歌体

長歌