巻2-85番歌(磐姫皇后)
君が行き日長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ
巻2-86番歌(磐姫皇后)
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを
巻2-87番歌(磐姫皇后)
ありつつも君をば待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに
巻2-88番歌(磐姫皇后)
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方にわが恋ひ止まむ
巻2-89番歌(作者未詳)
居明かして君をば待たむぬばたまのわが黒髪に霜はふるとも
巻2-90番歌(軽太郎女)
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを往かむ待つには待たじ〔ここに山たづと云ふは、今の造木なり〕
巻2-91番歌(天智天皇)
妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを〔一は云はく、妹があたり継ぎても見むに 一は云はく、家居らましを〕
巻2-92番歌(鏡王女)
秋山の樹の下隠り逝く水のわれこそ益さめ御思よりは
巻2-93番歌(鏡王女)
玉くしげ覆ふを安み開けていなば君が名はあれどわが名し惜しも
巻2-94番歌(藤原鎌足)
玉くしげみむまど山のさなかづらさ寝ずは遂にありかつましじ〔或る本の歌に曰はく、玉くしげ三室戸山の〕
巻2-95番歌(藤原鎌足)
われはもや安見児得たり皆人の得難にすといふ安見児得たり
巻2-96番歌(久米禅師)
み薦刈る信濃の真弓わが引かば貴人さびて否と言はむかも〔禅師〕
巻2-97番歌(石川郎女)
み薦刈る信濃の真弓引かずして強ひざる行事を知ると言はなくに〔郎女〕
巻2-98番歌(石川郎女)
梓弓引かばまにまに依らめども後の心を知りかてぬかも〔郎女〕
巻2-99番歌(久米禅師)
梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人そ引く〔禅師〕
巻2-100番歌(久米禅師)
東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも〔禅師〕
巻2-101番歌(大伴安麻呂)
玉葛実成らぬ木にはちはやぶる神そ着くといふならぬ木ごとに
巻2-102番歌(巨勢郎女)
玉葛花のみ咲きて成らざるは誰が恋ひならめあは恋ひ思ふを
巻2-103番歌(天武天皇)
わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
巻2-104番歌(藤原夫人)
わが丘の龗に言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
巻2-105番歌(大伯皇女)
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露にわが立ち濡れし
巻2-106番歌(大伯皇女)
二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り越ゆらむ
巻2-107番歌(大津皇子)
あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れし山のしづくに
巻2-108番歌(石川郎女)
あを待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを
巻2-109番歌(大津皇子)
大船の津守が占に告らむとはまさしに知りてわが二人寝し
巻2-110番歌(日並皇子尊)
大名児が彼方野辺に刈る草の束の間もあれ忘れめや
巻2-111番歌(弓削皇子)
古に恋ふる鳥かもゆづるはの御井の上より鳴き渡り行く
巻2-112番歌(額田王)
古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きしあが思へるごと
巻2-113番歌(額田王)
み吉野の玉松が枝は愛しきかも君が御言を持ちて通はく
巻2-114番歌(但馬皇女)
秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも
巻2-115番歌(但馬皇女)
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へわが背
巻2-116番歌(但馬皇女)
人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る
巻2-117番歌(舎人皇子)
ますらをや片恋ひせむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり
巻2-118番歌(舎人娘子)
嘆きつつますらをのこの恋ふれこそわが髪結の漬ぢてぬれけれ
巻2-119番歌(弓削皇子)
吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも
巻2-120番歌(弓削皇子)
吾妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを
巻2-121番歌(弓削皇子)
夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな
巻2-122番歌(弓削皇子)
大船の泊つる泊のたゆたひに物思ひ痩せぬ人の児故に
巻2-123番歌(三方沙弥)
たけばぬれたかねば長き妹が髪この頃見ぬに掻き入れつらむか〔三方沙弥〕
巻2-124番歌(園臣生羽之女)
人皆は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも〔娘子〕
巻2-125番歌(三方沙弥)
橘の蔭踏む道の八衢に物をそ思ふ妹に逢はずして〔三方沙弥〕
巻2-126番歌(石川女郎)
みやびをとわれは聞けるをやど貸さずわれを帰せりおそのみやびを
巻2-127番歌(大伴宿禰田主)
みやびをにわれはありけりやど貸さず帰ししわれそみやびをにはある
巻2-128番歌(石川女郎)
わが聞きし耳によく似る葦のうれの足ひくわが背つとめたぶべし
巻2-129番歌(石川女郎)
古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童のごと〔一に云ふ、恋をだに忍びかねてむ手童のごと〕
巻2-130番歌(長皇子)
丹生の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛きわが弟こち通ひ来ね
巻2-131番歌(柿本人麻呂)
石見の海角の浦廻を浦なしと人こそ見らめ潟なしと〔一に云ふ、磯なしと〕人こそ見らめよしゑやし浦は無くともよしゑやし潟は〔一に云ふ、磯は〕無くとも鯨魚とり海辺を指してにきた津の荒磯の上にか青なる玉藻沖つ藻朝はふる風こそ寄せめ夕はふる波こそ来寄せ波のむたか寄りかく寄る玉藻なす寄り寝し妹を〔一に云ふ、はしきよし妹がたもとを〕露霜の置きてし来ればこの道の八十隈ごとに万度かへりみすれどいや遠に里は離りぬいや高に山も越え来ぬ夏草の思ひしなえて思ふらむ妹が門見む靡けこの山
巻2-132番歌(柿本人麻呂)
石見のや高角山の木の間よりわが振る袖を妹見つらむか
巻2-133番歌(柿本人麻呂)
笹の葉はみ山もさやにさやげどもあれは妹思ふ別れ来ぬれば
巻2-134番歌(柿本人麻呂)
石見なる高角山の木の間ゆもわが袖振るを妹見けむかも
巻2-135番歌(柿本人麻呂)
つのさはふ石見の海の言さへく辛の崎なる海石にそ深海松生ふる荒磯にそ玉藻は生ふる玉藻なす靡き寝し児を深海松の深めて思へどさ寝し夜はいくだもあらず延ふ蔦の別れし来れば肝向かふ心を痛み思ひつつかへりみすれど大船の渡の山の黄葉の散りのまがひに妹が袖さやにも見えず妻ごもる屋上の〔一に云ふ、室上山〕山の雲間より渡らふ月の惜しけども隠ろひ来れば天伝ふ入日さしぬれますらをと思へるわれも敷たへの衣の袖は通りて濡れぬ
巻2-136番歌(柿本人麻呂)
青駒の足掻を早み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にける〔一に云ふ、あたりは隠り来にける〕
巻2-137番歌(柿本人麻呂)
秋山に散らふ黄葉しましくはな散りまがひそ妹があたり見む〔一に云ふ、散りなまがひそ〕
巻2-138番歌(柿本人麻呂)
石見の海津の浦を無み浦無しと人こそ見らめ潟無しと人こそ見らめよしゑやし浦は無くともよしゑやし潟は無くとも鯨魚とり海辺をさしてにきた津の荒磯の上にか青なる玉藻沖つ藻明け来れば波こそ来寄せ夕されば風こそ来寄せ波のむたか寄りかく寄る玉藻なす靡きわが寝し敷たへの妹が手本を露霜の置きてし来ればこの道の八十隈ごとに万度かへりみすれどいや遠に里離り来ぬいや高に山も越え来ぬはしきやしわが妻の児が夏草の思ひしなえて嘆くらむ角の里見む靡けこの山
巻2-139番歌(柿本人麻呂)
石見の海打歌の山の木の間よりわが振る袖を妹見つらむか
巻2-140番歌(依羅娘子)
な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてかあが恋ひざらむ
巻2-141番歌(有間皇子)
岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへりみむ
巻2-142番歌(有間皇子)
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
巻2-143番歌(長忌寸意吉麻呂)
岩代の岸の松が枝結びけむ人はかへりてまた見けむかも
巻2-144番歌(長忌寸意吉麻呂)
岩代の野中に立てる結び松心も解けず古思ほゆ〔いまだ詳らかならず〕
巻2-145番歌(山上臣憶良)
天翔りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
巻2-146番歌(柿本朝臣人麻呂之歌集)
後見むと君が結べる岩代の小松がうれをまた見けむかも
巻2-147番歌(倭大后)
天の原ふりさけ見れば大君の御寿は長く天足らしたり
巻2-148番歌(倭大后)
青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はぬかも
巻2-149番歌(倭大后)
人はよし思ひ止むとも玉曼影に見えつつ忘らえぬかも
巻2-150番歌(婦人)
うつせみし神に堪へねば離り居て朝嘆く君放り居てあが恋ふる君玉ならば手に巻き持ちて衣ならば脱く時もなくあが恋ふる君そ昨の夜夢に見えつる
巻2-151番歌(額田王)
かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊に標結はましを〔額田王〕
巻2-152番歌(舎人吉年)
やすみししわご大君の大御船待ちか恋ふらむ志賀の唐崎〔舎利吉年〕
巻2-153番歌(倭大后)
鯨魚とり近江の海を沖さけて漕ぎ来る船辺つきて漕ぎ来る船沖つ櫂いたく撥ねそ辺つ櫂いたくな撥ねそ若草の夫の思ふ鳥立つ
巻2-154番歌(石川夫人)
楽浪の大山守は誰がためか山に標結ふ君もあらなくに
巻2-155番歌(額田王)
やすみししわご大君の恐きや御陵仕ふる山科の鏡の山に夜はも夜のことごと昼はも日のことごと哭のみを泣きつつありてやももしきの大宮人は行き別れなむ
巻2-156番歌(高市皇子)
みもろの神の神杉夢のみに見えつつ共に寝ねぬ夜ぞ多き
巻2-157番歌(高市皇子)
三輪山の山辺まそ木綿短木綿かくのみからに長くと思ひき
巻2-158番歌(高市皇子)
山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
巻2-159番歌(持統天皇)
やすみししわご大君の夕されば見したまふらし明け来れば問ひたまふらし神岳の山の黄葉を今日もかも問ひたまはまし明日もかも見したまはましその山をふりさけ見つつ夕さればあやに悲しび明け来ればうらさび暮し荒たへの衣の袖は乾る時もなし
巻2-160番歌(持統天皇)
燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面知るを雲
巻2-161番歌(持統天皇)
向南山にたなびく雲の青雲の星離れ行き月を離れて
巻2-162番歌(持統天皇)
明日香の浄御原の宮に天の下知らしめししやすみししわご大君高照らす日の御子いかさまに思ほしめせか神風の伊勢の国は沖つ藻も靡ける波に潮気のみかをれる国にうまごりあやにともしき高照らす日の御子
巻2-163番歌(大伯皇女)
神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに
巻2-164番歌(大伯皇女)
見まく欲りあがする君もあらなくになにしか来けむ馬疲るるに
巻2-165番歌(大伯皇女)
うつそみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む
巻2-166番歌(大伯皇女)
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに
巻2-167番歌(柿本朝臣人麻呂)
天地の初の時ひさかたの天の川原に八百万千万神の神集ひ集ひいまして神分ち分ちし時に天照らす日女の尊〔一に云ふ、さしのぼる日女の尊〕天をば知らしめすと葦原の瑞穂の国を天地の寄り合ひの極知らしめす神の命と天雲の八重かき分けて〔一に云ふ、天雲の八重雲分けて〕神下しいませまつりし高照らす日の御子は飛鳥の浄の宮に神ながら太敷きまして天皇の敷きます国と天の原石門を開き神上り上りいましぬ〔一に云ふ、神登りいましにしかば〕わご大君皇子の尊の天の下知らしめしせば春花の貴からむと望月の満しけむと天の下〔一に云ふ、食す国〕四方の人の大船の思ひ頼みて天つ水仰ぎて待つにいかさまに思ほしめせかつれもなき真弓の丘に宮柱太敷きいましみあらかを高知りまして朝毎に御言問はさず日月のまねくなりぬるそこ故に皇子の宮人行方知らずも〔一に云ふ、さす竹の皇子の宮人行くへ知らにす〕
巻2-168番歌(柿本朝臣人麻呂)
ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも
巻2-169番歌(柿本朝臣人麻呂)
あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも〔或る本に、件の歌を以ちて後皇子尊の殯宮の時の歌の反と為せり〕
巻2-170番歌(柿本朝臣人麻呂)
島の宮勾の池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず
巻2-171番歌(舎人)
高光るわが日の御子の万代に国知らさまし島の宮はも
巻2-172番歌(舎人)
島の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君いまさずとも
巻2-173番歌(舎人)
高光るわが日の御子のいましせば島の御門は荒れざらましを
巻2-174番歌(舎人)
よそに見し真弓の丘も君ませば常つ御門と侍宿するかも
巻2-175番歌(舎人)
夢にだに見ざりしものをおほほしく宮出もするかさ檜の隈廻を
巻2-176番歌(舎人)
天地と共に終へむと思ひつつ仕へ奉し心違ひぬ
巻2-177番歌(舎人)
朝日照る佐田の丘辺に群れ居つつわが泣く涙止む時も無し
巻2-178番歌(舎人)
み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めそかねつる
巻2-179番歌(舎人)
橘の島の宮には飽かねかも佐田の丘辺に侍宿しに行く
巻2-180番歌(舎人)
み立たしの島をも家と住む鳥も荒びな行きそ年かはるまで
巻2-181番歌(舎人)
み立たしの島の荒磯を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも
巻2-182番歌(舎人)
鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の丘に飛び帰り来ね
巻2-183番歌(舎人)
わが御門千代永久に栄えむと思ひてありしあれし悲しも
巻2-184番歌(舎人)
東のたぎの御門にさもらへど昨日も今日も召すことも無し
巻2-185番歌(舎人)
水伝ふ磯の浦廻の石つつじ茂く咲く道をまた見なむかも
巻2-186番歌(舎人)
一日には千度参りし東の大き御門を入りかてぬかも
巻2-187番歌(舎人)
つれも無き佐田の丘辺に帰り居ば島の御橋に誰か住まはむ
巻2-188番歌(舎人)
朝曇り日の入りゆけばみ立たしの島に下り居て嘆きつるかも
巻2-189番歌(舎人)
朝日照る島の御門におほほしく人音もせねばまうら悲しも
巻2-190番歌(舎人)
真木柱太き心はありしかどこのあが心鎮めかねつも
巻2-191番歌(舎人)
褻ころもを時かたまけていでましし宇陀の大野は思ほえむかも
巻2-192番歌(舎人)
朝日照る佐田の丘辺に鳴く鳥の夜泣きかはらふこの年ころを
巻2-193番歌(舎人)
はたこらが夜昼と言はず行く道をわれはことごと宮道にぞする
巻2-194番歌(柿本朝臣人麻呂)
飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に生ふる玉藻は下つ瀬に流れ触らばふ玉藻なすか寄りかく寄り靡かひし夫のみことのたたなづく柔肌すらを剣大刀身に副へ寝ねばぬばたまの夜床も荒るらむ〔一に云ふ、荒れなむ〕そこ故に慰めかねてけだしくも逢ふやと思ひて〔一に云ふ、君も逢ふやと〕玉垂の越智の大野の朝露に玉裳はひづち夕霧に衣は濡れて草枕旅寝かもする逢はぬ君故
巻2-195番歌(柿本朝臣人麻呂)
敷たへの袖かへし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも〔一に云ふ、越智野に過ぎぬ〕
巻2-196番歌(柿本朝臣人麻呂)
飛鳥の明日香の川の上つ瀬に石橋渡し〔一に云ふ、石並み〕下つ瀬に打橋渡す石橋に〔一に云ふ、石並みに〕生ひ靡ける玉藻もぞ絶ゆれば生ふる打橋に生ひををれる川藻もぞ枯るれば生ゆる何しかもわご大君の立たせば玉藻のもころ臥せば川藻のごとく靡かひし宜しき君が朝宮を忘れたまふや夕宮を背きたまふやうつそみと思ひし時春べは花折りかざし秋立てば黄葉かざし敷たへの袖たづさはり鏡なす見れども飽かず望月のいや愛づらしみ思ほしし君と時々いでまして遊びたまひし御食向ふ城上の宮を常宮と定めたまひてあぢさはふ目言も絶えぬし然れかも〔一に云ふ、そこをしも〕あやに悲しみぬえ鳥の片恋妻〔一に云ふ、しつつ〕朝鳥の〔一に云ふ、朝霧の〕通はす君が夏草の思ひしなえて夕星のか行きかく行き大船のたゆたふ見れば慰もる心もあらずそこ故にせむすべ知れや音のみも名のみも絶えず天地のいや遠長く思ひ行かむ御名に懸かせる明日香川万代までにはしきやしわご大君の形見かここを
巻2-197番歌(柿本朝臣人麻呂)
明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし〔一に云ふ、水のよどにかあらまし〕
巻2-198番歌(柿本朝臣人麻呂)
明日香川明日だに〔一に云ふ、さへ〕見むと思へやも〔一に云ふ、思へかも〕わご大君の御名忘れせぬ〔一に云ふ、御名忘らえぬ〕
巻2-199番歌(柿本朝臣人麻呂)
かけまくもゆゆしきかも〔一に云ふ、ゆゆしけれども〕言はまくもあやに恐き明日香の真神が原にひさかたの天つ御門を恐くも定めたまひて神さぶと岩隠りますやすみししわご大君のきこしめす背面の国の真木立つ不破山越えて高麗剣和射見が原の行宮に天降りいまして天の下治めたまひ〔一に云ふ、掃ひたまひて〕食す国を定めたまふと鶏が鳴く東の国の御軍士を召したまひてちはやぶる人を和せとまつろはぬ国を治めと〔一に云ふ、掃へと〕皇子ながら任したまへば大御身に大刀取り佩かし大御手に弓取り持たし御軍士をあどもひたまひ整ふる鼓の音は雷の声と聞くまで吹き響せる小角の音も〔一に云ふ、笛の音は〕敵見たる虎か吼ゆると諸人のおびゆるまでに〔一に云ふ、聞き惑ふまで〕捧げたる旗のなびきは冬ごもり春さり来れば野ごとにつきてある火の〔一に云ふ、冬ごもり春野焼く火の〕風のむた靡くがごとく取り持てる弓弭の騒きみ雪降る冬の林に〔一に云ふ、木綿の林〕飄かもい巻き渡ると思ふまで聞きの恐く〔一に云ふ、諸人の見惑ふまでに〕引き放つ矢の繁けく大雪の乱れて来れ〔一に云ふ、霰なすそちより来れば〕まつろはず立ち向かひしも露霜の消なば消ぬべく行く鳥の争ふはしに〔一に云ふ、朝霜の消なば消と言ふにうつせみと争ふはしに〕渡会の斎の宮ゆ神風にい吹き惑はし天雲を日の目も見せず常闇に覆ひたまひて定めてし瑞穂の国を神ながら太敷きましてやすみししわご大君の天の下申したまへば万代に然しもあらむと〔一に云ふ、かくもあらむと〕木綿花の栄ゆる時にわご大君皇子の御門を〔一に云ふ、さす竹の皇子の御門を〕神宮に装ひまつりて使はしし御門の人も白たへの麻衣着埴安の御門の原に茜さす日のことごと鹿じものい這ひ伏しつつぬばたまの夕になれば大殿をふりさけ見つつ鶉なすい這ひもとほり侍へど侍ひ得ねば春鳥のさまよひぬれば嘆きもいまだ過ぎぬに思ひもいまだ尽きねば言さへく百済の原ゆ神葬り葬りいませてあさもよし城上の宮を常宮と高くしまつりて神ながら鎮まりましぬ然れどもわご大君の万代と思ほしめして作らしし香具山の宮万代に過ぎむと思へや天のごとふりさけ見つつ玉だすきかけて思はむ恐くありとも
巻2-200番歌(柿本朝臣人麻呂)
ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひ渡るかも
巻2-201番歌(柿本朝臣人麻呂)
埴安の池の堤の隠り沼の行方を知らに舎人は惑ふ
巻2-202番歌(桧隈女王)
泣沢の神社に神酒据ゑ祈れどもわご大君は高日知らしぬ
巻2-203番歌(穂積皇子)
降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の丘の寒からまくに
巻2-204番歌(置始東人)
やすみししわご大君高光る日の御子ひさかたの天つ宮に神ながら神といませばそこをしもあやに恐み昼はも日のことごと夜はも夜のことごと臥し居嘆けど飽き足らぬかも
巻2-205番歌(置始東人)
大君は神にしませば天雲の五百重が下に隠りたまひぬ
巻2-206番歌(置始東人)
楽浪の志賀さされ波しくしくに常にと君が思ほせりける
巻2-207番歌(柿本朝臣人麻呂)
天飛ぶや軽の道は吾妹子が里にしあればねもころに見まく欲しけど止まず行かば人目を多みまねく行かば人知りぬべみさね葛後も逢はむと大船の思ひ頼みて玉かぎる岩垣淵の隠りのみ恋ひつつあるに渡る日の暮れぬるがごと照る月の雲隠るごと沖つ藻の靡きし妹は黄葉の過ぎて去にきと玉梓の使の言へば梓弓音に聞きて〔一に云ふ、音のみ聞きて〕言はむすべせむすべ知らに音のみを聞きてあり得ねばあが恋ふる千重の一重も慰もる心もありやと吾妹子がやまず出で見し軽の市にわが立ち聞けば玉だすき畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず玉桙の道行く人も一人だに似てし行かねばすべをなみ妹が名呼びて袖そ振りつる〔或る本に、「名のみ聞きてあり得ねば」といへる句あり〕
巻2-208番歌(柿本朝臣人麻呂)
秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山道知らずも〔一に云ふ、道知らずして〕
巻2-209番歌(柿本朝臣人麻呂)
黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ
巻2-210番歌(柿本朝臣人麻呂)
うつせみと思ひし時に〔一に云ふ、うつそみと思ひし〕取り持ちてわが二人見し走出の堤に立てる槻の木のこちごちの枝の春の葉のしげきがごとく思へりし妹にはあれど頼めりし児らにはあれど世の中を背きし得ねばかぎろひのもゆる荒野に白たへの天領巾隠り鳥じもの朝立ちいまして入日なす隠りにしかば吾妹子が形見に置けるみどり子の乞ひ泣くごとに取り与ふ物し無ければ男じもの腋はさみ持ち吾妹子と二人わが寝し枕つく妻屋の内に昼はもうらさび暮し夜はも息づき明し嘆けどもせむすべ知らに恋ふれども逢ふよしを無み大鳥の羽易の山にあが恋ふる妹はいますと人の言へば岩根さくみてなづみ来し良けくもそ無きうつせみと思ひし妹が玉かぎるほのかにだにも見えなく思へば
巻2-211番歌(柿本朝臣人麻呂)
去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る
巻2-212番歌(柿本朝臣人麻呂)
衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりとも無し
巻2-213番歌(柿本朝臣人麻呂)
うつそみと思ひし時携へてわが二人見し出で立ちの百枝槻の木こちごちに枝させるごと春の葉の茂きがごとく思へりし妹にはあれど頼めりし妹にはあれど世の中を背きし得ねばかぎろひのもゆる荒野に白たへの天領巾隠り鳥じもの朝立ちい行きて入り日なす隠りにしかば吾妹子が形見に置けるみどり子の乞ひ泣くごとに取り委す物しなければ男じもの腋はさみ持ち吾妹子と二人わが寝し枕つく妻屋の内に昼はうらさび暮らし夜は息づき明し嘆けどもせむすべ知らに恋ふれども逢ふよしを無み大鳥の羽易の山に汝が恋ふる妹はいますと人の言へば岩根さくみてなづみ来し良けくもぞ無きうつそみと思ひし妹が灰にていませば
巻2-214番歌(柿本朝臣人麻呂)
去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る
巻2-215番歌(柿本朝臣人麻呂)
衾道を引出の山に妹を置きて山道思ふに生けりともなし
巻2-216番歌(柿本朝臣人麻呂)
家に来てわが屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕
巻2-217番歌(柿本朝臣人麻呂)
秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる児らはいかさまに思ひ居れか栲縄の長き命を露こそは朝に置きて夕は消ゆと言へ霧こそは夕に立ちて朝は失すと言へ梓弓音聞くわれもおほに見し事悔しきを敷たへの手枕まきて剣大刀身に副へ寝けむ若草のその夫の子はさぶしみか思ひて寝らむ悔しみか思ひ恋ふらむ時ならず過ぎにし児らが朝露のごと夕霧のごと
巻2-218番歌(柿本朝臣人麻呂)
楽浪の志賀津の児らが〔一に云ふ、志賀の津の児が〕罷道の川瀬の道を見ればさぶしも
巻2-219番歌(柿本朝臣人麻呂)
天数ふ大津の児が逢ひし日におほに見しくは今ぞ悔しき
巻2-220番歌(柿本朝臣人麻呂)
玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月と共に足り行かむ神の御面と継ぎ来る中の水門ゆ船浮けてわが漕ぎ来れば時つ風雲居に吹くに沖見ればとゐ波立ち辺見れば白波騒く鯨魚とり海を恐み行く船の梶引き折りてをちこちの島は多けど名くはし狭岑の島の荒磯面に廬りて見れば波の音の繁き浜辺を敷たへの枕になして荒床にころ伏す君が家知らば行きても告げむ妻知らば来も問はましを玉桙の道だに知らずおほほしく待ちか恋ふらむ愛しき妻らは
巻2-221番歌(柿本朝臣人麻呂)
妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや
巻2-222番歌(柿本朝臣人麻呂)
沖つ波来よる荒磯を敷たへの枕とまきて寝せる君かも
巻2-223番歌(柿本朝臣人麻呂)
鴨山の岩根しまけるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
巻2-224番歌(依羅娘子)
今日今日とあが待つ君は石川の貝に〔一に云ふ、谷に〕交りてありといはずやも
巻2-225番歌(依羅娘子)
直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ思はむ
巻2-226番歌(丹比真人)
荒波に寄り来る玉を枕に置きわれここにありと誰か告げけむ
巻2-227番歌(作者未詳)
天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けりともなし
巻2-228番歌(河辺宮人)
妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに苔むすまでに
巻2-229番歌(河辺宮人)
難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも
巻2-230番歌(笠朝臣金村歌集)
梓弓手に取り持ちてますらをのさつ矢手挟み立ち向かふ高円山に春野焼く野火と見るまで燃ゆる火をいかにと問へば玉桙の道来る人の泣く涙こさめに降り白たへの衣ひづちて立ち止まりわれに語らく何しかももとなとぶらふ聞けば哭のみし泣かゆ語れば心そ痛き天皇の神の御子のいでましの手火の光そここだ照りたる
巻2-231番歌(笠朝臣金村歌集)
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに
巻2-232番歌(笠朝臣金村歌集)
三笠山野辺行く道はこきだくも茂り荒れたるか久にあらなくに
巻2-233番歌(笠朝臣金村歌集)
高円の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ思はむ
巻2-234番歌(笠朝臣金村歌集)
三笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに